第8章 協力行動の進化
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1. 利他行動の進化基礎
互恵的利他行動の理論
ヒトに近縁な霊長類の社会でも、哺乳類でも、血縁関係にない赤の他人同士が助け合うことは知られている トリヴァースが提出した、動物が血縁関係にない個体に対して利他的に振る舞う利他行動の進化の一つのシナリオ ある個体が他個体に対して利他行動をとるときには、一定の適応度上の損失を被るが、その個体が将来、利他行動をしてあげた個体から同じような恩恵を受ければ損失が解消でき、そのような社会交渉が繰り返されれば、長期的には、両者ともに適応度が上昇するというもの(Trivers, 1971) 相互扶助行動との違いは、一旦損失を被り、その損失が将来のある時点で埋め合わされるという点 将来本当に埋め合わせられるかという疑問を確かにするために、いくつかの条件が必要となる
1. 特定の個体間の社会関係が長期にわたって続く、半ば閉鎖的な集団で生活している動物であること
個体Aが個体Bに対して行う利他行動と、BがAに対して行う利他行動との間に時間的ずれがあるため
2. 動物が、互いに個体識別し、過去にどんな行動のやりとりがあったのかを記憶できるようななんらかの認知機能を持っていること 利他行動のやりとりを正確に行うために必要な情報を理解できる認知能力がなくてはならない
3. 行為者が被る損失よりも、行動の受け手が受ける利益の方が大きいこと
自分が払った損失は、将来自分が受ける恩恵で補償されなければならないので、そのようなことが真に利益となるためには、行為者のコストは受け手の利益より小さいという条件が必要になる
チスイコウモリの血の貸し借り
中南米の洞窟に8~12頭の集団で住んでおり、夜になると洞窟の外で眠っている哺乳類から血を吸う
一晩に自分の体重の最大40%に相当する血をなめる
哺乳類はチスイコウモリがくると蹴飛ばしたり追い払ったりする
2歳以下では33%、年長の個体では7%が採食に失敗する
60時間餌にありつけない場合は餓死する
ウィルキンソンは、コスタリカの洞窟でチスイコウモリの集団を観察したところ、飢えた個体が満腹の個体に餌ねだり の行動をする場面を目撃し、ねだられた個体が飢えている個体に血を吐き戻してやることを発見した(Wilkinson, 1984) 特定の個体間で互恵的に行われていることがわかった
チスイコウモリは長寿で、個体は同じ洞窟仲間と長期に渡って関係を保っている
彼らは互いを個体識別していた
飢えた個体の利益が満腹の個体の損失よりも大きいかを知るため、ウィルキンソンは実験室でチスイコウモリの体重減少と死亡までの残り時間の関係を調べた
ほぼ満腹の個体が体重の5%分の血を仲間に渡すと、自分は約4~5時間命を縮める
飢えた個体がそれだけの分の血を分けてもらうと、餓死に至るまでの時間は約15時間も回復できる
チスイコウモリたちが互いに個体識別し、血の吐き戻しを特定の個体間でやりとりしていることは確か
お返しをしなかった個体を覚えて排除しているかはわからない
しかし、彼らの大脳の新皮質が非常によく発達しているという証拠がある 社会脳仮説を援用すると、互恵的な利他行動をしばしば行っているチスイコウモリは、そうでないコウモリたちよりも、大脳に占める割合が高いだろうと予測される 霊長類における互恵的利他行動
チスイコウモリの血のように、物理的には同じ量の資源であっても、個体のおかれた状態によってその効用が異なることはしばしばある そのような状況で社会的相互作用の繰り返しがあり、相手を個体認知でき、過去のやり取りを覚える能力があれば、互恵的利他行動が進化する条件は整っていると言える
霊長類やクジラ類はその有力な候補者で、霊長類、とくにチンパンジーでは、互恵的利他行動を示唆するたくさんの証拠が知られている チンパンジーは集団内のオス同士が強い絆で結ばれて、協同で狩りをしたり、なわばり防衛したりすることが知られているが、集団内のオスたちはいつも一枚岩というわけではない
ほぼ直線的な順位関係があり、高順位のオスにはさまざまな特権がある
よい採食場を確保したり、好物の肉を他の個体から取り上げたり、優先的に交尾ができたり、メスを独占できたりする
オスたちは高い順位をめぐって争うが、2頭のあいだでいさかいが始まると、必ずと言ってよいほど別の誰かが加勢に入り、オスたちあげての抗争になる
特にトップの座につくためには支援者が必要
東アフリカのゴンベ国立公園やマハレ国立公園のように長期的な観察が続けられている調査地では、必ずと行ってよいほど第1位オス(αオス)の影には支援者の補佐があった これらの支援者は、αオスからもけんかの加勢や肉の優先的な配分、メスとの交尾の容認などの見返りを受けていることが知られている
好物の食物が小さいと分配せず、独占が起きてしまうので、たくさんの葉がついた大きな枝を与えた
過去にたくさんもらった相手には多く与え、あまりくれなかった相手には与えないという関係が見られた
直前に毛づくろいをしてもらった場合には、毛づくろいをしてくれた個体に多くの葉を与えるという、異なる行動を通じた貸し借り関係も観察された ベルベットモンキーでも、毛づくろいを受けたサルは、毛づくろいしてくれた相手が攻撃されたときに発する悲鳴に対して、より敏感に反応することが報告されている 互恵的利他行動の帳じりは合っているか?
プライドにいる雌同士の間には姉妹関係があることが多いが、ニホンザルなどの群れと同様、血縁関係が遠い雌たちもいる 隣接するプライド同士は、なわばりをめぐって強い競争関係にあり、雌たちは共同でなわばりを守り、周辺をパトロールしている
プライドには第一の雌がいて、とくになわばりの維持に気を配っている
隣接するプライドの雌たちが近寄ってきた場合には、噛みあっての闘争が起こり、負ければ殺されることもある
プライドの雌の数が減ると、隣のプライドに駆逐されてしまうことにもなる
プライドの雌同士の闘争のとき、第一位の雌はつねに先頭に出ていって闘争を率いる
プライドの他の雌たちも前面に出ていって戦う
セレンゲティのライオンの集団を長年研究してきたパッカーたちは、このメス同士の協力関係を分析した プライドの雌たちの中には、3種類の行動をとるものたちがいる
第1グループ: 第一位の雌が前線に出ると同時に、自分もすぐについていって前面に出て闘争する
第2グループ: 自ら進んで前面には出たがらないが、相手のプライドの数が優勢で、こちらが負けそうな気配になると、やっといやいやながらも前面に出てくる
第3グループ: 普段から怠け者で少しも前面に出たがらないのみならず、相手が優勢で危険になればなるほど、ますます出ていかない
第一位の雌は、これらの雌たちの行動をよく心得ていることもわかった
第1グループの雌に対してはあまり振り返らないが、第2, 第3グループの雌に対しては、しばしば振り向いて確かめる
つまり、第一のメスは、他の雌達の怠け行動をよく承知している
しかし、怠け雌に対してなんらかの報復行動をすることは見られなかった
怠け者は許容されている
これでは互恵的利他行動が成り立たないことになる
一つの答えは、互恵的利他行動が闘争場面という一つの社会状況内で完結してやりとりされているとは限らない
毛づくろい→食物分配というように、闘争の怠けが、何か別のことでお返しされている可能性がある
プライド内の雌の数が多ければなわばりの維持ができるので、多少の怠け雌がいてもそれを追い出さない方が、誰にとっても有益なのかもしれない
哺乳類以外の互恵的利他行動
生物の記憶システムにはさまざまな種類があり、長期にわたる記憶が哺乳類的な脳でしか可能でないことはない
ホシガラスは数千個もの種子を貯蔵し、それらを驚くべき正確さで回収する 個体を識別する能力にしても、その手がかりを何らかの形で保存し照合できれば、我々のような長期記憶システムは必ずしも必要ではない
ある種のサカナ(たいてい貪欲な捕食者)は、自分のからだについたゴミや外部寄生虫を他のサカナ(ソウジウオ)やエビに除去してもらう 掃除される側は、口やえらぶたを開いてじっとしながら、掃除者の安全を保証する
海洋生物学者の観察によれば、この二者間の関係は長期的で、特定の場所で行われており、同じ個体間で交わされていることが示唆されている
掃除者はたいてい派手な色彩をしていて、識別が容易だが、掃除される側のサカナも体色を変化させ、危険ではないことを発信してから掃除者に接近する場合が多い
小鳥は猛禽類のような捕食者を発見すると、警戒のさえずりを発する 最初に鳴いた個体は、捕食者の注意を自分にひきつけるのでコストを負うが、それを聞いた仲間はそのおかげで逃走体態勢に入ることができる
お互いが捕食者発見時に鳴きあえば、相互の利益を高めることができるので、互恵的な役割交換が期待できる行動
しかし、この行動はトリヴァース自身が述べているように、血縁淘汰説や自分自身の子や配偶者を守るという直接的な利益によっても説明できるかもしれない 裏切り者(いつも自分だけは鳴かない個体)の侵入をどう防ぐかが問題になる
その後の研究では、雌雄同体のハムレットというハタ科のサカナの卵と精子の取引が、互恵的利他行動の例としてよく知られている 雌雄同体のサカナでは、配偶時に精子と卵子を交互に放出する
卵のほうが生産コストが高いので、受精のためには放精の方がコストが少なくて済む
精子ばかり出す個体がいたとすると、それはこの取引ではただ乗りということになる
観察の結果、ハムレットの放卵と放精は交互に行われていることがわかった
2. 人間社会における互恵的利他行動
親切の貸し借り
人間社会における持ちつ持たれつの関係は、必ずしも特定の相手だけに限ったことではない
人間の助け合い活動の多くは、ルールとして制度化されている
社会的制度がそもそもなぜ存在するのかを問い直してみると、そのほとんどは互恵的な関係に根ざしていると言える
社会契約の基本原理
トリヴァースの理論に大きな影響を受け、人間の社会契約の生物学的基礎とそれに適応した心理メカニズムについて考察した 互恵的利他行動の成立条件で非常に重要なのは、恩恵を受ける一方でお返しをしない個体を見抜くことができる、そしてそのような個体を排除できるということ
利他行動の貸し借りを別の表現で言い換えると、受益者になるためにはコストを払わねばならない
コスミデスはこれこそが社会契約の基本原理だと論じた
コスミデスの研究がユニークな点は、社会契約が維持されるためには、コストを払わずに受益者になるような裏切り者をいち早く発見するような心理メカニズムを持つように強い淘汰が働いてきたと考えたこと
形式論理学を知っている人には簡単なことかもしれないが、一般の人にとってはなかなか難しい課題 抽象的な演繹的推論の問題は、大学生であっても平均正答率は十数%にすぎない
文脈を与えると正答率が一挙に60~70%にまで急上昇することが知られている
従来、馴染み深さ、あるいは、実用的許可の文脈によって生じると説明されてきた
コスミデスは、正答率が上がるのはそれが社会契約課題であり、とりわけ人が裏切り者を敏感に見地する心理メカニズムを備えているからだと考えた
彼女は馴染みの薄い問題でも正答率が高くなること、前提と許可からなる課題でも、社会契約の文脈が与えられた場合のみ成績が良くなることを示した
ドイツの認知科学者のギゲレンツァーは、同一の4枚カード問題において誰が受益者となるかを変化させることによって、コスミデスらの社会契約説を支持する実験を行った 「年金資格をとるには、10年以上勤続しなければならない」というルールが守られているかどうか確認する問題
カードの片面
年金資格がある(P)
年金資格がない(非P)
勤続年数10年以上(Q)
勤続年数10年未満(非Q)
経営者の立場に立って回答するように教示受けた協力者の多くは、Pと非Qのカードを選択し、労働者が少ない年月で休暇を取っていないかどうか調べようとした
労働者の立場に立って回答するように教示を受けた協力者の多くは、長い年月働いているのに、年金をもらえない労働者がいないかどうか(経営者がごまかしていないか)を調べようとして、非PとQのカードを選んだ
あらわなごまかしと微妙なごまかし
コスミデスが想定する「裏切り者検知」機構は、無自覚的に作動する適応心理メカニズム この自動処理的なメカニズムは、多かれ少なかれ感情(怒り)に彩られている
トリヴァースは1971年の互恵的な利他行動を発表した論文の中で、人間の感情が互恵性と深くつながっていることを主張した(この考えは、彼が著した教科書『生物の社会進化』(Trivers, 1985)においても紹介されている) まず、人類の進化史において互恵的な関係を築き上げるような非常に強い淘汰圧が働いたと考える
この大前提はすでにみてきたように、おそらくその通りであったに違いない
ここでトリヴァースが問題にするのは、さらにその量的な側面
互恵的利他行動における裏切りやごまかしには、大別して二つのタイプがあることを指摘した
「あらわなごまかし」(たかり)
まったくお返しをしない
ヒトではこのようなおおっぴらなごまかしに対しては、鋭敏に検知する心理メカニズムを備えていると考えられる
「微妙なごまかし」(けち)
自分がもらったよりも少ししかお返しをしないですまそうとすること
この二者間の関係が長期に渡ると、いつもより取り分の少ない方の者が、不公正感を抱くことは容易に想像できる
ここで問題になるのは、現実の人間の互恵的利他行動は利益/コスト比が毎回変わるようなやり取りが何十回、何百回と繰り返されることで、それらを集計してそれが不公正にみえたとしても、それが偶然によるものなのか、微妙なごまかしの積み重ねによるものなのかが簡単にはわかりにくい
ごまかし側の立場から考えればあ、相手に見破られない範囲でごまかしや欺きを働くことが得になる場合がしばしばあるので、ごまかすチャンスを窺うことだろう
現実社会では、さらに付き合う相手を選ぶことができ、他の互恵的な関係との比較で、相手との関係を評価することになるので、問題はさらに複雑になる
そこで、微妙なごまかしを見破ったり、逆に微妙にごまかしたり、ごまかしを働いた相手を責めたり、相手を乗り換えたりすることが、適応上、重要な課題になる
純粋な利他者は「たかり」屋の前では無力なので、純粋な利他者だけの集団は進化的に安定ではない
あらわな「たかり」屋だけでは互恵的関係は成立しない
毎回、相手との関係を査定する何らかの心理メカニズムを備えた個体が有利になる
一つは、色々な相手との取引を個別にきちいんと正確に記憶し、つねに利益/コスト比が最大になるように計算をすること
しかし、実際は遥かに大雑把などんぶり勘定
トリヴァースの議論は、社会的な感情という心理メカニズムこそがこのような大雑把な計算装置だということ
……自分がどれくらい利他的にふるまい、どれくらい裏切るかを調節し、相手がどれくらい利他的にふるまうかに応じた対応をするために、複雑な心理システムがただちに選択されることになりそうだ. その結果、利他的なやりとりからの利益を享受しながらいずれの型の裏切りからも身を守り、状況が裏切りに有利となればそうさせるようなシステムが進化する. 単に利他者か裏切り者かというちがいだけでなく、利他性の度合いや裏切る条件が人それぞれになるだろう. そして、ここで述べたような選択圧のせいで、次に示すような感情のシステムが進化してくるはずだ(Trivers, 1985, 邦訳 p.477) 互恵的利他行動から進化した感情システム
以下はトリヴァースの議論の要約
1. 友情と好き・嫌いの感情
他人(血縁者とは限らない)を好きになり、友情を結ぶ傾向や、友人や好きな人に利他的に振る舞ったりする傾向は、利他的に行動し、利他的な相手との結びつきを求める動機づけが直ちに感情的心地よさを引き起こすことによって選択されるだろう
相手が本当に困っている場合には、見知らぬ人や嫌いな人を助けるように淘汰が働くこともあるだろう
さらに、自分を好いてくれる人の利他的傾向に敏感であることは淘汰上有利だろう
心理学者の実験では、人は無関係な人よりも友人に対して利他的に振る舞う傾向があり、利他的な行動と友人としての魅力には高い相関が見いだされた
利他行動と好きの感情は双方向的で、人は好きな人に利他的に振る舞い、利他的な人を好きになる
互恵的利他行動と好き・嫌いの感情の間の「ニワトリと卵」的な関係では、そもそもどちらが先だったのだろうか
ダーウィン、ハミルトン、ウィリアムズといった研究者たちは、集団生活者で高い知能を備えた動物の中で、家族関係を超えた利他行動が進化するとみなし、友情とそれを支える知能が、互恵的利他行動の必要先行条件だったと考えてきた すなわち、互恵的利他行動は哺乳類以降にしかみられないとみなされてきた
しかし、互恵的利他行動の理論によれば、好き(嫌い)の感情は、互恵的なシステムが出現した後に、そのシステムを調整する上で重要な方法として進化したのだと考えられる
2. 道義的な攻撃
利他的行動を動機づけるような感情がいったん進化すると、利他者が持つポジティブな感情につけこむ裏切り者が現れる
今度は利他者の側にも防衛メカニズムを備えるような淘汰が働く
道義的な攻撃や義憤は(1)いかなるお返しもない場合、利他者の性向を停止させ、(2)非返報者に対して脅しや警告を発することによって矯正を働きかけ、(3)極端な場合には、非返報者を直接攻撃したり、殺したり追放したりするような淘汰を受けて進化した
多くの人間の攻撃性には道義的な含みがあり、不正、不公平、非返報性が、道徳的攻撃や義憤を引き起こす
現代の狩猟採集民の口論やけんかは、贈答に関するトラブル、けち、怠け、食物分配などの公正さや平等さをめぐって生じることが多い
この種の攻撃で共通んの特徴は、攻撃の程度がしばしば度を越すことであり、つまらない口論から友人を殺すなどということにもなりかねない
しかし、小さな不公正も繰り返し積もれば、適応度に大きな損失をもたらすので、裏切り者を発見したときに、相手に強い攻撃を示すような淘汰が働くだろう
3. 感謝と同情
互恵的利他行動がどれほど適応的かが、利益/コスト比で決まるならば、人間は利他行動をとるべきか、また返報すべきか、するとしてどれほど返報したらよいかなどの決定にあたって、利他的行為の利益とコストに対して敏感になるはず
感謝の感情は、利他行為に対する返報性を動機づけるもの
同情の感情は、利他行動の受け手の窮状の度合いに応じて利他行動を動機づけるもの
大まかに言えば、受け手が得るであろう潜在的恩恵が大きいほど、やり手の側の同情も増し、見知らぬ相手や嫌いな相手への利他行動が動機づけられる
また、受け手の側の感謝が利益/コスト比の関数だとすれば、そのお返しはかなり大きなものになるだろう
ある社会心理学実験では、1ドルしかないときに80%かけた贈り物の方が、4ドルのうちに20%を使った贈り物よりも、多くの返報を引き起こしたと報告している
4. 罪悪感とそれを償うための利他行動
自分の裏切り行為が発覚した、あるいは発覚しそうになって、パートナーの反応が自分に対する将来のすべての援助を打ち切るというものであれば、相手をだましたことによって生じる損失はあまりに大きい
関係の断絶を回避できることは、裏切った側にとって有利であるばかりでなく、もし裏切り者がきちんと償い、二度と騙さないというのであれば、裏切られた側にとっても利益となるだろう
すると、裏切ったものが、過ちを償い、将来はだましを働かないことをはっきり示すような動機づけが選択される
罪の感情のある部分は、そのような動機づけをもたらすものとしてせんたくされてきたのだと思われる
これらに引き続いて、トリヴァースは、上に述べた友情や道義的攻撃、感謝、同情、罪悪感などに擬態する微妙な裏切りが進化することを予測し、それに対する検出の心理メカニズムとしての信頼感や疑惑が生じることへと議論を展開していく
さらに、二者間の関係を越えた利他行動がどのように発展するかが論じられる
モラルや道徳性の起源を考えるとき、彼の議論はきわめて示唆に富み、今日でも倫理の生物学的基礎を論じる上で重要なアイデアが数多く含まれている
3. ゲーム理論による分析
社会的葛藤とゲームの理論――「囚人のジレンマ」
トリヴァースの説明は、実証的な心理学研究としてはいまだに詰められておらず、基本的には彼の推測にとどまっている
一方、トリヴァースの議論に触発され、さらにメイナード=スミスが発展させた進化ゲーム理論(Maynard Smith, 1982)の影響を受けて、社会的葛藤をゲーム理論を用いて分析する研究が近年盛んに行われるようになった まずさまざまな行動基準(戦略)をもった人や組織(しばしばプレイヤーと呼ばれる)を考える
プレイヤーはそれぞれの目標を達成しようとした行動するが、目標がどれほど達成されるかは、他のプレイヤーの行動基準(戦略)に依存する
プレイヤーの利害が対立し、全員の利得の合計がゼロ(または一定)になるようなゲームをゼロサムゲームと呼ぶ 限られたパイを奪い合うタイプ
相手と一緒に利得を伸ばすこともありえるし、逆に足を引っ張り合って共倒れになったりもする
動物や人間の社会行動の分析によく用いられる
2人ゲーム
プレイヤーは「協力」か「非協力」かどちらかを選ぶことができる
相手がどちらの手を出すかは予め知ることができない
両者とも「協力」の場合の両者の得点を$ R(re-ward: 相互協力の報酬)、自分が「非協力」相手が「協力」出会った場合の得点を$ T(temptation: 裏切りの魅力)、自分が「協力」で相手が「非協力」出会った場合の得点を$ S(suck: 裏切られたときの様々な損失)、両者ともに「非協力」の得点を$ P(penalty: 相互に裏切りがあった罰)とする
囚人のジレンマは次の二つの条件を満たすゲームであると一般化できる
$ T > R > P > S: このゲームは裏切りの魅力が最も強く、以下、相互協力の報酬、裏切りあった罰とつづき、まんまと裏切られたときの損失が最低の状態であることが示される
$ \frac{(T + S)}{2} < R: どちらかが裏切ってもう一方が惨めに裏切られたときの両者の平均利得は、相互協力の報酬より小さいこと、すなわち、両者の合算した利益は、両プレイヤーが相互協力をした場合に最大になることが示される
個人の利益と共同利益がかみあわないのが囚人のジレンマゲーム
このような状況で、果たして「協力」行動は生まれるか?
これが1回限りのゲームであるときには協力行動は生まれない
相手が「協力」をとったときは、自分が「協力」を取るよりも「非協力」をとった方がはるかに刑期が短くて済む
相手が「非協力」をとったときも、自分は「協力」をとるよりも「非協力」を取ったほうが刑期は短くなる
相手がどちらの手をとるにしろ、自分は「非協力」を取ったほうが刑期を短くできる
1回限りの囚人のジレンマ状況では、両者ともに「非協力」を選択することが合理解となる
繰り返しのある囚人のジレンマゲーム
囚人のジレンマ問題は、同じ相手と将来にわたって長くつきあいが続けられる場合には、状況が変わる
1回限りの場合と異なり、裏切りが最良の戦略ということではない
お互いに裏切り合っているだけでは、両者とも得点が一向に伸びないが、どこかで両者とも協力に転じられれば、以後、両者ともに高得点を維持できるかもしれない
一義的に解が決まるものではないので、シミュレーションしてみないとわからない
「しっぺ返し」戦略の勝利
1970年代の終わり頃に、ミシガン大学の政治学者R.アクセルロッドはそのようなシミュレーションを行って、反復型囚人のジレンマゲームの研究に画期的な変化をもたらした プログラムを募集して、それらのプログラム同士をコンピュータ上で対戦させるリーグ戦を実施し、どのようなプログラムが高得点をあげるかを分析した
初回は「協力」を出し、次回からは、相手の前回選択した手と同じものを選択するというだけの非常にシンプルなプログラム
TFTは1回ごとの対戦ではけっして相手に勝てなかったが、負けたとしても大負けしないため、合計点を稼ぐことができた
TFTの特徴
上品さ: 何はともあれ初回は協力する
短気さ: やられたらすかさずやり返す
寛容さ: 古い過去にとらわれず、相手が協力に出たら、すぐに協力する
わかりやすさ: 単純である
その後、TFTを改良した戦略もいくつか提出され、様々な研究がなされている(中丸, 1999) これらの研究から得られたメッセージは、互いに何度もつきあいを続けていくような関係においては、協力行動は遺伝的に進化し得るということ
社会生活を送るのがつねであるような動物には、「他個体によくする」という行動が進化し、それを引き起こすような心理メカニズムが存在するだろうということ
n人の場合――社会的ジレンマ
社会学者のR.ドウズの定義によると、プレイヤーが$ n人であり、互いに誰がどんな戦略をとっているのかが特定できず、個々人の戦略がみな「裏切り」であれば、個人の得点は上がるものの、社会全体としては損失になるという状況 囚人のジレンマの$ n人拡張型
社会的ジレンマでは、簡単に協力行動は出てこないようだ
裏切り者を効果的に罰する方策がないから
ヒトの進化環境は150人を限度とする小集団であり、構成員同士はほとんどがよく知り合っていた
ヒトの心は不特定多数の名も知らない人々といつも接触しながら生活するための適応を備えてはいないはず
しかし、これら不特定多数の状況に対処するにあたって、私たちは、進化で身につけた心の機能を拡張して使っているはず
ここまでくると、私たちが持っている公正感、正義感、他者一般に対する信頼の問題になってくる